絹の様な人たちがモノを作る時に、何を想い作っているのか。
直接お伺いし話を聞いてみたい。ということで今回お話しをお伺いしたのは
桐生に工房を構える「OLN」さん。
リバーシブルで使える着物の帯を開発するなど、常識にとらわれない視点はどう生まれるのか。
桐生という最高の制作現場を持ちながら、ちゃんとお客様が欲しいものを
お客様に直接聞きにいく。探しにいく。
「行動」することによって生まれるニーズがあるということを実体験をもとに話してくれました。
「OLN」さんのプロフィール
OLN(オルン)は2014年、群馬県桐生市にある井清織物で
和装の帯を織る夫婦、井上義浩さん、忍さんの二人ではじめた活動名だそうです。
「織物で日々の暮らしを彩る」ための
生活雑貨やストール、そして帯のブランド名であり、
これからの織物業の在り方を自由かつ誠実に考え
実践するためのその全てを含めて「OLN」としています。
OLNは桐生の方言「織るん?」から来ています。
私たちは日々生まれる織物のアイデアを形にしています。
「木島さん」のプロフィール
Silky Peopleの発起人であり、ブランドマネージャー。
アパレル担当で、実はこの記事の写真も主に木島さんが撮影されています。
群馬県桐生市出身JYUNYA WATANABEチーフパタンナーに就任後、
イオントップバリュ㈱で衣料商品企画開発部のチーフクリエイティブデザイナーに就任。
2011年に個人事業主として起業。2014年、株式会社Huggyhuggy(ハギーハギー)設立。
2015年、株式会社フクルを設立。
(前回の記事はこちら)
元々あった常識から距離を取れることの強さ。
井上義浩さん(以下:よしさん)
今、OLNで売れている帯も、しのさん(忍)さんの気づきというか、
ふとした一言から生まれたような経緯もあるんですよ。まさしく神の一手というか。
それがしのさんがポロリとこぼした、
「うちの織物は裏地の方がかわいい。裏の方が派手だよね」って一言だったんです。
それで、できたのが裏も表として使えるような帯なんですよ。
この帯って、今でもうちの売れ線だったりするんですよね。
しのさんって良い意味で「元々あったものと距離を取る」ことができるっていうか。
「必要なものかどうか」という点でものを見て、その視点で結果を出してるんですよね。
なので、彼女の言葉はもともと桐生に住んでいた織物業の息子としての常識を、驚く形で打ち砕いてくれるんですよ笑
順風満帆でないから、斬新なことにも挑戦して広がりを出せた。
よしさん
実際にうちが順風満帆に行っていたら、おそらく、しのさんの意見にも耳を貸さなかったと思うんです。
元々やっていた方法でうまくいっていたのに、なんで横道にそれなきゃいけないんだって。
ただ、僕が桐生に戻ってからの違和感だったり、居場所があるのにない。みたいに思っていたから、
しのさんが出す意見というか仮説が、とても斬新だけど価値があるように思えたんですよ。
恐る恐るでしたが、試してみよう!ってなれたんですよね。
で、実はそうやって始めたものの方がうまく行っているものが多いんですよ。
── しのさんは、どちらのご出身なんでしょうか。
井上忍さん(以下しのさん)
私も実は群馬出身なんですが、邑楽郡(おうらぐん)っていう、もっと田舎のほうの生まれなんですよ。
そこは別に絹織物の町とかそういう場所じゃなくて、本当にのどかないい場所なんです。
── ということは、本当に織物についてはかなり素人に近い形で最初はこちらにきたんですね。
その分、元々あった桐生の常識が入ってなかったというか。
しのさん
そうですね。それはあると思います。
私も最初は、織物組合が主催する東京、京都での「問屋さん向けの商談会」に商品を持っていくのが普通なのかな。
とくらいに考えていたんです。ただ、そこでは私たちの商品はなかなか芽がでなくて...。
一方で織物組合の商談会以外の呉服屋さんがうちの製品をみて、
気に入ってくれたりして他の展示会も紹介してくれたりしたんです。
他の織物業さんが成果を出している以外の場所で、私たちの商品を「好きだ」という場所があったことに驚きました。
さらに、そこに積極的に出ていくことによって、さらに理解してくれる人たちが増えた。
それを経験したことによって、ただ自分達を理解してくれる人を待つだけではなく、
探しにいかなきゃダメなんだ。ってすごく思いました。
製作者側の意見を消費者に押し付けては絶対にダメだ。
── 桐生という土地にベースを置きながらも、そこに縛られない。って感じですね。
しのさん
ものづくりする上での土地としては、桐生という場所があって本当に良かったと心から思っています。
木島さん
そうですね。制作の拠点としては桐生って最高ですよね。
ただ、その場所で制作すべきものって「消費者がほしいもの、求められるもの」なので、
そのことにズレがあったことに忍さんが早くに気づけたっていうのは、素晴らしいことだと思います。
よしさん
正直、商談会以外の場所でも挑戦したい。と、しのさんが言い出した時は、僕も「え?!」っておもったんですよ。
桐生で織物業を営むうえで、考えたこともなかったって。
ただ、彼女が言ってたことって、織物業を行うっていう本質を見据えていたんですよね。
(つづきます。)