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【桐生】さくげつ 田口康範さん「第一回 人の魅力が移住の大きな後押しになる。」

 

「さくげつ」田口康範さんのプロフィール

京都市出身。前職はアパレルメーカー元役員。

退職後、桐生市の築120年の古民家を再生し、

洋服と食材のセレクトショップ「さくげつ」を、妻・侑希乃さんとオープン。

「作り手の背景が、お客様の頭の中に浮かぶような売り方を。」

をモットーに、日本全国の作り手と出会い、

自分たちが感じた熱を伝えることを大事にされています。

⇨さくげつ

前職の会長が、自分の「ゆくゆくは独立したい」を後押ししてくれた。

インタビュアー酒井:
田口さんは、前職、大手アパレルにお勤めだったとお伺いしていますが、
会社勤めを辞めて独立を決めたきっかけは
どのようなものだったんでしょうか?

 

さくげつ田口康範さん:
コロナウイルスの影響は、大きかったとおもいますね。

まだアパレル会社に勤めている時、社としてもコロナの影響を受けたんです。
経営方針も大きく変えなければ...。
と、忙しく動いている時期がありまして。

そのような日々の中で、前職の会長と
今後、自分が何をしたいのかを話す機会があったんですね。

その時に自分自身が60歳まで、会社を勤め上げている姿が想像できなくて、
なんだか怖くなってしまったんですよね。
その時に「ゆくゆくは独立したい」ということを言葉にして伝えたんです。

それを聞いた会長が
「そういうことなら、今すぐやったらどうだ。」
と声をかけてくださったんですよ。

元々、会長は
「仕事ができるようになった人は独立しろ。」
というスタンスの方だったので、
僕のこともいつかは辞めると思っていたみたいですね。

それがコロナの影響で早くなった感じです。

 

インタビュアー酒井:
前職の会長さんは、田口さんのことをよく見てくださってたんですね。

さくげつ田口康範さん:
本人には直接言いませんが、第二の親父のようにおもっていますね。
正直、自分の親よりも自分を叱ってくれた回数が多いと思います。

若い頃は嫌でしたけど、
今思えば、本当にありがたいことだと思っています。

独立に関しては、どこか踏み切れない自分に変わって、
背中を押してくれたんでしょうね。

そして、そのことを妻に伝えまして。

彼女はもともとお店をやりたいと思っていたので、
会社勤めを終えると同時に開店に向けて動き出したという感じですね。

インタビュアー酒井:
お店は最初から桐生に出そうと考えていたのですか?

さくげつ田口康範さん:
最初から桐生にこだわっていたわけではなかったんです。

ただ、独立を決めた後に前職の会長から、
「桐生というところで、新しいブランドを立ち上げることになったから、それを手伝わんか?」
とお声がけいただいたんですよ。

インタビュアー酒井:
独立後も気にかけてくれたんですね。

桐生の「人の魅力」に「移住」を大きく後押しされた。

さくげつ田口康範さん:
とはいえ、当時、僕も桐生という土地については仕事で何度か来たくらいで、
あまりよくわかっていなかったので。

まずは、ちゃんと行って見てみようということで、
「店ができるかどうか検討してから、会長に返事はさせていただきたい。」
と返答したんですよね。

そして、何回か桐生を訪れる中で、
アンカー」さんや「ふふふ」さんとお話しする機会があったんですよね。

その中で、新しく店を始めるなら応援するよ。ということを言ってもらえたり...
すごく良い人が多かったんですよ。

あとは、
ものすごい「感度」の高い人たちが桐生には集まっているな。
と感じました。

桐生だったら少しエッジのを効かせたことができそうだ。と思ったんです。
洒落を効かせたことが受け入れてもらえそうな空気感があったというか。

僕ら以外に桐生に移住する方で
「町並み」や「工場」など景観を挙げる方もいらっしゃると思いますが、
僕個人としては、
「人」という部分に大きく後押ししてもらった部分はありますね。

なにか面白そうなことをやるなら桐生がいいな。と思ったんです。

あと、京都出身の僕からすると、
桐生ってどことなく京都に雰囲気が似ている気がするんですよ。

住んでいる人の個性がハッキリして、人との距離感をちょっと置くけれど、
いざご近所さんに何かあった時に、一丸となって動けるような感覚があるんですよね。

そこも桐生が面白いと思った部分ではありますね。

続きます。

  • この記事を書いた人

酒井 公太

silkypeopleのウェブ担当であり、プランナー。 フリーランスでデザインや企業のプランニングをなりわいとしています。 田舎育ちの東京暮らし。只今、移住を真剣に検討中です。

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