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【桐生】(有)平賢 小山哲平さん「第三回 不可能を可能にすることが、自信につながる。」

日本人であれば、一度は見たことがある「鯉のぼり」。

青空に大きな鯉が風に乗って泳ぐ姿は、本当に見ていて気持ちが良いものです。

その鯉のぼり。どう作られているかを知っていますか?

今回は伝統的な「手捺染(手捺染)」という手法で鯉のぼりを染めている職人、

有限会社 平賢の小山哲平さんにお話を伺ってきました。

実際お会いしてみると、その風貌は「職人」というよりも、肩の力が抜けた爽やかなミュージシャンのような佇まい。

とにかく太い声がかなりカッコいい。

そんな小山さんがひょんなことから「職人」になっていき、自信をつけていくまでのストーリーは、

今、自分がしたい仕事がわからない人たちへのエールになりそうな予感がします。

「KIRYU TENUGUI 有限会社 平賢」小山哲平さんのプロフィール

1983年生まれ。桐生市在住。平賢染工場3代目。

2007年、(有)平賢に入社し捺染職人の道に進む。
こいのぼりや祭袢天を染める一方、入社10年を節目にこれまで培ってきた技術や経験を活かして「桐生てぬぐい」を設立。

「桐生」という街を主軸にし、様々に派生させたデザインのてぬぐい。
また人のふと感じる瞬間の感情をテーマに表現し、てぬぐいを製作している。

⇨「KIRYU TENUGUI」

(前回の記事はこちら⇩)

■「良いものを作りたい」という考え方で繋がりたい。

-
自分にとって「楽しい」と思える仕事を受注できるようになったのは
いつごろからでしょうか。

小山さん:
やっぱり手ぬぐいを作り始めてからですかね。

手ぬぐいを作る前は...
なんというか、ちょっと病んでいたような時期があったんですよ。
染めの仕事に対して、前向きになれない時があったんですよね。

仕事を日々行っていく中で、
納品先のメーカーから、腑に落ちないクレームが重なる時期があったんですよね。

それで、本当に一度、染めの仕事を辞めようかと悩んだ時があったんです。

ただ、一つ心残りだったのが、
自分がやってきた仕事や培ってきた技術はエンドユーザーにどう評価されているか知らないことだったんです。

メーカーさんのその先にいるお客様のことが知りたくなったんですね。
そのために開発した商品が「手ぬぐい」だったんですね。

-
それを世の中に出したら、思った以上に反応があった...。

小山さん:
そうですね。

手ぬぐいが自分の思った以上に世の中に受け入れられて、
自信のような感覚も出てきたんです。

そんな形で今の仕事を続けられているので、
今後、無茶な仕事は受けないと思うようになったんですよね。

安く買い叩くような会社とはお付き合いをやめて、
お金というよりも「良いものをつくりたい」と考えている会社と付き合うようになったんです。

そのスタンスで仕事をするようになってからは、
実は仕事は増えてきているんですよね。

やはり良い仕事をすると、
その仕事を見た他の人からの依頼がくるというような感じで。
結果的に良い方向に向かったと思います。

 

■「業界の不可能」に挑戦することで、自信をつけていく。

-
今日僕がつけている「priret(プライレット)のストール」も平賢さんが染めているんですよね。

小山さん:
そうなんです。
実はpriretさんの通風織のストールは、
弊社の仕事の中でも難易度がかなり高めの染めだったんですよ。

そもそも円筒形になっている薄い布を色を変えて染めるということを、
染め業界の人間は思いつかないんですよ。「不可能だ」と。

ただ、(priretの)上久保さんは、
そういう業界の常識とかは関係ない形で僕らを訪ねてきてくれたんです。

ちょうど彼が来た時に、手ぬぐい事業を始めるタイミングでしたし、
僕自信が新しいことにどんどん挑戦していきたい時でした。

あとは、染めの世界で不可能だと思われていることを形にすることができたら、
自分自身に対して「大丈夫だ」と考えることができそうな気がして。

それが難しいけど、やりがいのある仕事に挑戦していこうと考え始めるきっかけになりましたね。

-
染めの常識を覆えすきっかけが、小山さんの職人魂に火をつけたんですね。

小山さん:
はい。
上久保さんはどう考えているかわかりませんが笑
プライレットのストールでの試行錯誤が、僕の中では仕事への自信をつける大きなきっかけの一つでした。

 

■「作り手」としても、「桐生の人間」としても、僕はまだまだこれから。


-
今まで桐生の様々な作り手の方にお話をお伺いしてきているんですが、
桐生の方って、皆さんやりたいことがちゃんと見つかっている方が多い気がするんです。
なにか理由があるんですかね?

小山さん:
どうなんでしょうね。

実は、僕、生まれも育ちも桐生でしたけど、
この仕事についた後も全然桐生のこと知らなかったんです。

実は弊社の仕事って「桐生以外の人」からしかこなかったんですよ。

自社製品である「手ぬぐい事業」を初めて、やっと地元のイベントに参加するようになったくらいですから。
最近になって、やっと地元の人脈もできるようになりましたしね。

正直、それ以前は桐生の人たちも、鯉のぼりを手捺染で染めている工場があるって知らなかったんじゃないかなぁ。

そういうこともあって、

僕の場合は「手ぬぐい」が全ての始まりだったんですよね。
桐生のことを知り始めたのも、ここ数年でという感じです。

だから、作り手としても、桐生の中の人間としても、僕はまだまだこれからなんです。

(終わります。)

  • この記事を書いた人

酒井 公太

silkypeopleのウェブ担当であり、プランナー。 フリーランスでデザインや企業のプランニングをなりわいとしています。 田舎育ちの東京暮らし。只今、移住を真剣に検討中です。

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