100年以上続く桐生の染色業、桐染の4代目として家業を継がれた平本さん。
実は家業を継がれるまでは、東京の大学でグラフィックデザインを学び、都内のデザイン会社でアートディレクターを目指して働くデザイナーでした。
そのキャリアを辞めてまで家業を継ぐ事に決めた理由は、東京で磨かれた「良いものを見る目」と「染色業に対する覚悟」でした。
第二回では、良い仕事を行うための姿勢について色々とお話しを伺いました。
桐染(KIRISEN)平本友里さんのプロフィール
桐染代表(染屋4代目)1986年群馬県桐生市出身。
多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業後、合名会社GLUE、株式会社佐藤卓デザイン事務所を経て、
2018年より家業を継ぐ。創業104年、株式会社桐染代表取締役・4代目女職人。
フクル木島さんのプロフィール
Silky Peopleの発起人であり、ブランドマネージャー。
桐生の縫製工場生まれ。
群馬県桐生市出身JYUNYA WATANABEチーフパタンナーに就任後、
イオントップバリュ㈱で衣料商品企画開発部のチーフクリエイティブデザイナーに就任。
2011年に個人事業主として起業。2014年、株式会社Huggyhuggy(ハギーハギー)設立。
2015年、株式会社フクルを設立。
環境にやさしい服作りについて日々模索中。
世の中に知られていない素晴らしい技術は、自分の手で残すしかない。
インタビュアー酒井:
そもそも平本さんは、なぜ桐生に戻ろうと思ったんでしょうか?
平本さん:
私は小さい頃からものすごく頑張っている伝統工芸士の祖父の姿を見ていたんですよね。
工場で働く他の職人さんともコミュニケーションを大事にしていて、よく話す人だったんです。
孫の私に対してもしきりに、
「おじいちゃんは、すごい人なんだぞ」
と、一生懸命PRしてくるという笑
ただ、私って生意気な子供だったので、なぜか心の中で祖父の凄さと張り合おうとしている自分がいたんです。
それも小学生のころからですよ。
インタビュアー酒井:
むしろ、お祖父様のおかげで、自分の中にある反骨精神に火がついたような形だったんですね。
平本さん:
そうですね。
口には出さなかったんですけど、心の中で自分のセンスに対する自信を溜めつつ、染めの家業を見ながら成長したんです。
ところが高校生くらいの時あたりから、どうも家業が傾いてきていることに気がついたんです。
「だんだんと仕事が減ってきている」と父が言っているのを聞いたんですよね。
そして、ついに私が大学生の時に、一緒に働いてきてくれた従業員さんたちにやめてもらわないと家業が立ち行かなくなる状況になりました。
その事実を従業員にどう伝えれば良いか悩んでいる父親の様子も見てきていて。
自分の家で作っているものは美しかったですし、伝統工芸士の祖父が作っているものは技術的にも素晴らしいものでした。
当時、私は東京の美大に行くため上京していたのですが、市場に出回っている商品と比べて、自分の家の商品がすごく良いものだと素直に思えるようになっていたんです。
さらに大学で専攻していたグラフィックデザイン学科では、
「企業の良いところを掘り出して、正しく伝える」
ということを学んでいたんです。
だから、素晴らしいものを作っている家業の仕事が減ってしまっている事実に、余計に納得できなかったんです。
その時点では家業を継ぐことは考えておらず、卒業後は広告のアートディレクターになることを目標にデザイナーとして東京のデザイン会社に就職をしたんです。
そして、デザインの現場で経験を積む日々を過ごしていく中で、
ふと...
「だれか家業の染めの技術を継承する人がいないと、良いものがなくなってしまうんだ。」
ということに気づいたんです。
そう思ってからは染めの技術のことをもっと知っておきたいと思い始めました。
もし家業の工場がなくなったり、祖父が亡くなっても技術さえ知っておけば、なんとか技術継承だけはしていけると思ったんです。
その時、グラフィックデザインの仕事を始めて10年が経っていましたが染めの技術継承に比べると、
デザインの仕事は私以外の人でもできるのでは...
と考えるようにもなっていたんです。
30歳を超えて、私がデザインの仕事でやりたいことがある程度出来た。という感覚もありました。
そこから、
「デザイナーとしての知名度を上げていく」のか、
もしくは「
染めの家業を継いでそちらに専念する」のか...
悩んだ末に、自分にしかできないという点で家業に専念することを決めたんですよね。
インタビュアー酒井:
技術を継承する人がいないと技術がなくなる。ということに気づいたきっかけはなんだったんでしょう。
平本さん:
家業の工場が順調ではなかった。ということが大きかったと思います。
むしろ順調だったら、やりたい人はたくさんいると思うんです。
でも、うちのような古い工場で汗をかいて働きたい人が、これからの時代にどれだけいるのか...。
と考えた時に、誰もいないだろうな。と思ったんです。
それで、私がやるしかないと思ったんですよね。
あとは、祖父の技術が、世の市場に出ているものと比べても決して引けを取らないという考えがありましたから。
それが失われてしまうのが悔しい気持ちがあったんですよ。
その気持ちが、上京して大学に行き、デザインの仕事をしていく中で「ものを見る目」が出来たおかげで大きくなっていったんです。
価値観が増えて、祖父の行っている染めの技術の凄さに気づけたんです。
大事なのは仕事に対する「姿勢」が良いかどうか。
インタビュアー酒井:
覚悟をもって桐生に戻ってきたんですね。
平本さん:
覚悟...そうですね。
最近、桐染で働きたいって言ってくださる方も出てきたんですが、覚悟があるかどうかはやっぱり見ちゃいますね。
最近一人、新しい方に入ってもらったのですが、その子は高校生の時から、桐染でバイトしてくれていたんですね。
その頃から仕事が終わった後に
「残って手伝ってもいいですか?」
と自発的に言ってくれるような子だったんです。
高校卒業後は、専門学校に進んだ後、学校の先生になったんです。
先生になった後も、ちょくちょく工場には顔を出してくれていたんですけど...
ある日「桐染で働きたい」って伝えてくれたんです。
先生のような収入の安定した職業を辞めて、まだまだ不安定な桐染に来たいと言ってくれた時は正直悩みました。
ただ、
「仕事に対する覚悟と姿勢について信頼ができる。」
という点で一緒に働いて頂くことに決めました。
インタビュアー酒井:
それは確かに「覚悟」がある決断ですね。
平本さん:
桐染のお仕事に興味を持ってくれる服飾関係の学生さんや教職員の方がいることは本当にありがたいと思っています。
ただ、スタンスとして「衰退産業を手助けしてあげる」という形で来られるのは少し困ります。
それよりも「染め」という技術に対する敬意が大事だと思っていて。
ある時は
「一ヶ月だけ、染めの技術を勉強させてほしい」
という若い方がいましたが、その方にはどうしても厳しい言葉をかけざるを得ませんでした。
どうも私は若い方に気軽に「教えてほしい」と声をかけられやすいみたいなんです。
ただ、元々、ハードなデザイン業界で揉まれてきた人間ですから、仕事に対して敬意がない態度については、どうしても強く言っちゃうんですよね笑
フクル木島さん:
学生さんや就職希望者の方で、敬意が身についているかどうかは本当にその後のキャリアに大きく影響する部分ですよね。
学校では与えられた課題を解いていれば大丈夫な学生が、いざ社会に出たら、もっと相手の心情を理解して
能動的に動くことも必要になってくることも出てきますから。
家業をもっていた家庭で育った方ってその感覚が身についている人が多い気がするんですよ。
平本さん:
あぁ...。かもしれない。
ただ、やっぱり基本的に敬意は社会に出てから学ぶんでしょうね。
一度、社会に出て自分の実力がいかに通用しないか。
自分の無力さを痛感する経験が必要なのかもしれません。
インタビュアー酒井:
平本さんも、やはり無力さを痛感した経験はおありなんですか。
平本さん:
はい...苦笑
私の場合は最初に入ったアパレル系のデザイン会社の上司が本当に「プラダを着た悪魔」のような方でして。
デザインの会社に入ったはずなのに、お茶の淹れ方から注意されるんですよ。
「おいしいお茶が淹れられないなら、デザインだって上手にならないから。」
というような感じの指導方法だったんです。
ただ、ファッション業界の大御所たちと働くための仕事の姿勢をしっかりと教わることができたんですよね。
現場で私が一番若い時もあったんですが、それを引け目に感じることなく落ち着いて仕事ができるような気配りや振る舞いをしっかりと学ばせてもらいました。
どこに行っても通用するような仕事に対する姿勢をしっかり教えていただいた気がします。
そのような経験を経てから二社目に転職したんですが、本当にスムーズに仕事ができるようになっていたんですよ。
フクル木島さん:
「しつけ」に近い考え方ですね。
平本さん:
そうです!!
本当によく「しつけられた」という感覚ですね!
細かいところまでしっかり基準ができた感じです。
(続きます。)