silky people

インタビュー 読み物

でこぼこした道だけど、 自分たちの道を作っていきたい。|第二回【桐生】「野路」さん

車がなんとか入っていける細いデコボコ道の先に、

大きな山を背にあらわれるパン工房「野路」。

大きな白い犬が2匹と、ほんわかしたご夫婦が笑顔で出迎えてくれました。

いざ、お話を伺ってみると、パンの話というよりも「死生観」の話へ...。

しっかり「生きている」ことを噛み締めて暮らすことが、

野路のパンの隠し味になっているような...。

ぜひ、お二人のお話を味わっていただければと思います。

 

「野路」さんのプロフィール

桐生で「チャツネ」というパン屋を休止し、一年山小屋で働いた後、

ご夫婦二人でパン屋「野路」で活動を再開させる。

工房を始め、薪窯まで全てご自身で作るところから始める。

「日々はまるごとパンになる」という言葉を掲げ、

日々の暮らしを大事にしながら、夫婦でパンを焼いています。

野路

(前回の記事はこちら⇩)

■「菌」に対する好奇心でパンを作ろうと思った。


パン作りを始めたきっかけについて伺ってもよいでしょうか?

 

野路 あやさん:
もともと私が「菌」に興味を持ったところからですね。

ある時、
「レーズンに水を浸して菌の営みを使ってパンを作れる」
ということを知って。

その不思議な営みにものすごく興味が湧いたんですよね。

特にパンを食べることが好きだったというわけでもなく、
「菌」に対する好奇心でしたね。

 


レーズンからパンが作れるとはどうやって知ったんですか?

 

野路 あやさん:
私が東京にいた頃に通っていた、
有名なパン屋さんがその製法で作っていたんですよ。

パンの発酵への興味がどんどん大きくなって、当時勤めていた会社を辞めて
故郷の群馬に帰ってきてパン作りを始めたんです。

 


旦那さんはパンに対しての興味はどのように湧いていった感じですか。

 

野路 のぶさん:
僕はパン作りで忙しくなった彼女のサポートという形で始めたんですよね。

元々パン工房を始める前は、家具屋に勤めていたんですよ。
そういったこともあって、ものづくり自体にはものすごく興味がありました。

実は会社に勤めている時から奥さんとは
「一緒に独立して何かやりたいね。」
って話はしていたんですね。

なので、パン工房をやるために桐生に引っ越したタイミングで始めました。

 


それが最初のパン工房だった「チャツネ」になったわけですね。

ただ、その後「チャツネ」の活動を一旦休止させて、
「野路」という名前で活動を再開するわけですが、この名前を変更した理由ってなんでしょう。

 

野路 あやさん:
本当に大きく色々変わったんですよね。
薪窯に変えたのもそうですし、パンの製法も変わったりして。

一旦「チャツネ」を休止する時に、
気持ちの方でもパン作りから少し離れたこともあったんですよね。

 

野路 のぶさん:
そうだね。
「野路」って名前も元々パンとは関係なくて。

今いる工房の改修を自分たちでしている時に、
建物の下地の「野地板」が出てきて、外からは見えないけど、
家を守るとても大事な部分があるって知ったんですよ。

その「野地」の文字をちょっと変えて、
「野路」という名前を考えたんですよね。

「ととのった道ではない、ちょっとぼこぼこした道だけど、
自分たちの道を作っていきたいな」
という思いが入ってます。

 


この工房もご自身で作られた!
あの目の前にある薪窯も、ご自身で?

 

野路 あやさん:
はい。そうです。

「こだわり」を持ちすぎるとにそれが自分を締め付けてしまいそう。


すごいですね...!
そのなんでも自給自足というか、一回やってみようという気力って
どこから来ているんですか?

 

野路 あやさん:
この場所的に...というのが大きかったかもです。

この工房の前の道ってものすごく狭いので、
業者さんの車が入ってこれないんですよね。

自分たちでトラックを借りて作るしかなかったんです。

野路 のぶさん:
そうだね。結果的にそうなった感じだよね。

 


結果、経験が積み重なっていく道を選んでいるんですね。

 

野路 あやさん:
いやぁ...確かに言われてみればですよね。
本当に...「こだわり」のようなものは意識してないんですけどね。

野路 のぶさん:
絶対にこれじゃなければダメみたいな「こだわり」を持ちすぎると
逆にそれが自分を締め付けてしまいそうで。

パン作り以外でも、
あまり「こだわり」縛られないように行動するようにしてますね。

 


良いものを作る上で、その時の自分達の感覚に一番フィットするものを
選択できる状態にしておくような感じですね。

 

野路 あやさん:
そうですね。
実は一度、すごい偏ってしまった事があったんですよ。

野路 のぶさん:
そうそう...とにかくストイックな時期があったんです。

野路 あやさん:
不自然なものは食べたくない、
みたいに、完全に食べるものを先に決めちゃって。

野路 のぶさん:
「あれが良い、あれが悪い」と選ぶことが続いてしまったんです。
そういうのってどうなんだろう。と思ったんですよ。

野路 あやさん:
自然なもの、不自然なものって自分が決めた事でしかなくて、どちらが良い悪いとかでは全くない。

結局は「選ぶ人」を中心に考えるべきなのかな。
って思えるようになったんです。

 


そう、思うようになったきっかけは何かあったんですか?

 

野路 あやさん:
八ヶ岳の山小屋で過ごしていた時期に、食べ物は小屋まで登って運んで来なければならなかったんです。

山の麓から背負子という道具を使って、男性陣が一生懸命食糧を担いできてくれるんです。
それこそ重量にしたら40Kgくらいになるものを背負って上がってくるんです。

食料そのものが非常に貴重なんですね。卵も一日一個!みたいに決まっていて。

そんな山小屋での生活で使われていた調味料や食材は当時の自分たちが選ばないものでした。

あとは、保存がとても効くものだったりとか。

ただ、山の生活は本当に体力を使うから、食べないと動けなくなっちゃうんです。

 

野路 のぶさん:
食べ物が貴重で、制限のある山の上では、
自分たちの選り好みをしている場合じゃないんですよね。

むしろ、そこにある食料に対するありがたみの方が出てくるというか。

そういうことを経験してから「こだわり」を捨てることができましたね。
こだわりを持ちすぎることが幻想を生み出すことになってしまう。

そう考え始めたら、だいぶ楽になりましたね。
自分がその時良いなと思える物を自由に選べるようになりました。

続きます。

  • この記事を書いた人

酒井 公太

silkypeopleのウェブ担当であり、プランナー。 フリーランスでデザインや企業のプランニングをなりわいとしています。 田舎育ちの東京暮らし。只今、移住を真剣に検討中です。

-インタビュー, 読み物
-,