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【桐生】さくげつ 田口侑希乃さん 第二回 「学びたい」という気持ちが、自分を動かしてくれる。

 

「さくげつ」田口侑希乃さんのプロフィール

大分県出身。大学在学中にエアライン会社に就職。

その後「自分のお店を持ちたい」という目標を叶えるために、さまざまな店舗で経験を積む。

生産者の想いを丁寧にお客様に伝え、商品に想いを寄せてもらえる事を大事にしつつ。

ご夫婦二人で、群馬・桐生にて「さくげつ」を営業されています。

⇨さくげつ

(前回の記事はこちら⇩)

「野菜」が私の原点であり、フォーカスすべきもの。

インタビュアー酒井:
その後は直島で働きながら、勉強の日々を続けていたのでしょうか?

さくげつ田口侑希乃さん:
直島のカフェで働きながら、
あることをきっかけに、
フランスに「野菜」を学びに行くことを経験しました。

その当時、
直島って海外の方が本当にたくさんいらっしゃっていたんですね。

それで、接客の中であるフランスの方とお話をする機会があった時に、

「なにか自分の中でフォーカスしたいものがなければ、人はついてこないよ。」
という言葉をいただいたんです。

改めて自分がフォーカスしたいものってなんだろう。
と考えた時に出てきたのが、

私の実家の自然豊かな大分で家族がやっている野菜作りでした。
「野菜」に対してフォーカスすることが、私にはしっくり来ると感じたんですね。

そこで、フランスの農家さんの様子を3ヶ月ほど見に行ったりして、
日本の農家とは違う野菜づくりへのアイデンティティのようなものを感じたんです。

その経験を通して、さらに野菜というものに対して興味が出てきたので、今度は野菜について勉強できる環境を探し始めたんです。

そこで見つけたのが、
奈良にある「くるみの木」という場所でした。
https://www.kuruminoki.co.jp/ichijyo/

お洋服を扱いながら、
「大和野菜」も扱っているという会社で、

さらに、小さいオーベルジュ(レストランがメインの宿泊施設)も営業していたんです。

器選びもものすごく凝っていて、
日本の器作家さんをいろいろ見て選んでいるようで、私が勉強したいことがたくさんあるような環境でした。

だんだんとそこで働きたいという気持ちが大きくなっていて、
思い切って面接を受けに行ったんです。

そこで採用をしていただいた後、
最初は、お洋服と雑貨の部門に配属していただいて、
勤務しながら知識をつけていったんですね。

調味料や、作家さんの器に触れ始めたのもその頃からです。

しばらくたって雑貨担当からオーベルジュの方に異動になって、
レストランのウェイターから、ホテルの案内まで行うような業務も経験させてもらいました。

インタビュアー酒井:
まさに働くことを、そのまま将来の学びにつなげていたんですね。

さくげつ田口侑希乃さん:
本当にそうですね。

そのような形で「くるみの木」に勤めてから一年ほどたった時に、

もともと勤めていた直島のカフェから、
「直島の芸術祭で海外の方がたくさん来るから戻れないか」
というお話をいただいて、芸術祭の開催に合わせてカフェに戻ることにしたんですね。

そして直島に戻ったタイミングで、
今の主人と出会って付き合うことになりました。

主人とは付き合った当初から、私の夢である
「将来自分の店を持つこと」について伝えていました。

そうしたら、主人も
「一緒にお店をやりたい」
と言ってくれたこともあって、
直島の芸術祭が終わって、ひと段落ついたこともあったので、
主人の住む東京に移り住むことになったんです。

 

「学びたい」という気持ちが、自分を動かしてくれる。

 

インタビュアー酒井:
東京へ移り住んだのは、
旦那様がまだ会社員だったということもあってでしょうか?

さくげつ田口侑希乃さん:
はい。そうです。

ただ、私はそれまでは東京に住もうって思ったことがなくて、
自然がある場所の方が、
常に自分らしく暮らせるなとずっと思いながら生きてきたので。

東京で働く場所を探す時は、かなり悩みました。

いつか自分のお店で役に立つことで、野菜にフォーカスした知識を得られるお店。
そう考えた時に、東京って「八百屋さん」がたくさんあることに気づいたんです。

直島から東京に移り住む前に、東京の八百屋さんをリサーチし始めまして、
そこで、群馬の農家さんからお野菜を直接仕入れて販売する
「草木堂野菜店」を発見したんですね。
https://kusakido.com/index.html

直接、農家の方とやりとりできるのは、すごい楽しそうだな。と思えたんです。
すぐに連絡を取って、
そちらのお店で桐生に引っ越す前まで働かせていただきました。

インタビュアー酒井:
ご自身の未来のお店に役に立ちそうなことを、
なるべく多く経験したいというか。
本当にフットワークが軽快ですね。

さくげつ田口侑希乃さん:
そうかもしれません。
子供が産まれる前までは、一人だったと言うこともあって、
「自分がこれを学びたい」という考えが出てきたらすぐに動いていましたね。

と言っても、
職場を辞める時には、毎回すごい重い気持ちにはなっていたんですけどね。
次のステップに進めることは楽しみにはしていました。

 

インタビュアー酒井:
将来の自分の未来像に対して、
なるべく現場で学ぶことを大事にされている印象を受けました。
そのような学ぶ姿勢ってどうやって出来上がったんですか?

さくげつ田口侑希乃さん:
大学入学時にすでにそうだった記憶はあります。

大学一年生の時に、
航空会社にすでに内定を決めていた四年生の先輩とお会いする機会があって、
「早めに準備しておいた方がいいよ。」
とアドバイスを頂いたんです。

それで、他の方が大学三年生くらいから通う就活のためのスクールに、
大学一年生の時から通ったりしていましたね。

そうやって過ごしていたら、早く入社したいと言う気持ちが出てきたんですね。
早めに世にでたら、その分、学費も浮いて良いかな。
と思いながら勉強していましたね。

あとは、やはり叔母の影響が大きいですかね。

叔母はアメリカやタイなどの暮らしを経験して、日本に帰国した後、
40歳を超えてから教職免許の勉強を始めたんですよ。
最終的に、チェンマイの日本語講師として就職したんですね。

そういう叔母のやりたいことにドンと突き進んでいく姿を、
幼い頃から間近で見ていて影響を受けていたと思いますね。

続きます。

  • この記事を書いた人

酒井 公太

silkypeopleのウェブ担当であり、プランナー。 フリーランスでデザインや企業のプランニングをなりわいとしています。 田舎育ちの東京暮らし。只今、移住を真剣に検討中です。

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