silky people

インタビュー 読み物

鈍感がゆえに、地域の人から学ばせていただけた処世術|ネオつくばプロジェクト 山中周子さん インタビュー 第三回

茨城県のつくばエリアを盛り上げるために、筑波大学と地元のアーティスト、そして地元の方々を巻き込みながら、
アートイベントを開催し続けている山中周子(やまなかのりこ)さん。

彼女の幼少期の憧れの街「つくば」を、アートで元気にしたい!という情熱を、成し遂げようとしています。
しかも、彼女は男の子三人を育てているバリバリの現役育児ママ。
平日は週5で県内にある中学・高校の美術の非常勤講師も務めるなど...

なぜ彼女はこんなに仕事も育児も頑張れるのか。
また、つくばの外部の人が、地元の人に馴染むために何を行ってきたのか。

なにより「アート」というカテゴリで、人を巻き込む方法ってどうやるの?

パワフルにやりたいことを実現していく山中さんのお話からは、
「自分の価値観を作り上げていくためのヒント」がたくさん散りばめられていました。

ネオつくばプロジェクト 山中周子さんのプロフィール

女子美術大学卒業後は繊維を素材とする造形作家として活動を続け、越後妻有トリエンナーレ、琵琶湖ビエンナーレなどに参加。
アートが地域活性の重要な役割を持つことを肌で感じる。

その後、筑波大学で教員免許を取得後、東京・木場のアートギャラリーに勤務し、国内外のアートフェア等へ参加。
現在は、三人の子供を育てるながら地元茨城県八千代町在住。公立高校美術非常勤講師も務めながら、つくばエリアを起点としたアートと人をつなぐプロジェクトとして「合同会社ネオつくばプロジェクト」を設立。
インディペンデントキュレーターとして活動中。

→ネオつくばプロジェクト

前回の記事はこちら

■つくばで展覧会を開くことで、つくばのことを何も知らない自分に気づく。

山中周子さん

・インタビュアー酒井
活動を続けていく中で、
ターニングポイントになった出来事などありますか?

・山中さん
そうですね...
私にとって大きかったのが、「矢中の杜」での展示での経験ですね。

「矢中の杜」は、昭和初期に、筑波山麓に位置するつくば市・北条地区に建てられた建材研究家・実業家の矢中龍次郎氏の邸宅でして、今でも文化財として保存されているんですね。

 

その「矢中の杜」の保存活動をしているNPOの方に展示場所として使う許可をいただいて、
「つくば北条アートプロジェクト 2020 pilot 版」という展示をさせていただきました。

その展覧会を通して、初めてつくばの方々と直接的に関わり、声
を生で聞くことができた気がします。

この展示に携わる前までは、つくばの「外観」でしか見てなかった。
実際に私は外部の人間のイメージで見ていたんだなぁ。と思い知らされた感じでした。

と言うのも、私はつくばの駅前。つまり「街」の部分しか見ていなくて、
筑波山の方の「山」の方の事は全然知らなかったんです。小学校の時の遠足で行った記
憶で止まっていました。

筑波の山の方には、豊かな自然と歴史、文化があったんですよね。
ただの田舎ではなかったんです。そのエリアをよく知っている民族学をやってらっしゃる方がいたりとか、海外からクラシック奏者を呼び、蔵を使ってコンサートをやってらっしゃる方がいたりとか...

そういった魅力的な方とお会いしたり、存在を知ったり、歴史や地理のことを教えていただいたり、、、自分自身まだつくばのことを何もしらないのでは...。

と気づいたんです。山麓には本当に豊かな文化があって、夢中になりました。

■「裏切り者」と言いながらも手伝ってくれる「つくばの山の人たち」に愛を感じた。

山中周子さん

・インタビュアー酒井
ネオつくばプロジェクトを通して、憧れの街のつくばをより深く知ることになっていったんですね。

・山中さん
本当にそうなんです。
もっとつくばのことで知るべきことがあるのかもと思うようになりました。

つくばの展覧会を開くことになり、
始めてつくばに住んでいる地元の方とコミュニティを作ることが出来たんです。

ここでの出会いが、つくばの街と山を「アート」を通してつなぐ、
「つくばアートサイクルプロジェクト2021-2022」の開催に発展していったんですよ。

ただ、実はこの展示の企画をそれまで一緒に考えてくださった方々に提案した時、
「裏切られた!」みたいに思わせてしまって。

・インタビュアー酒井
え!なぜそんなことに?!

・山中さん
毎回、何らかのテーマを持って企画を作っていて、企画によってはエリアが変わった
り、一緒に参加していただく方が変わるなど、その時によって体制が変わるんです。そのことをうまくお伝えできなかったのだと思います。本当に反省しています。

一緒につくばの山麓の旧市街エリア盛り上げるためのイベントを行うつもりで協力して
くれようとしてたんですが、企画を練る段階でエリアが拡大してしまって、つくばの魅力
的な場所を展覧会会場として使うアート展「つくばの街と山をつなぐ」へ発展して行った
んです。

当初、「拠点」として考えていたエリアの存在が、「会場の一部」という形になってし まったので、その旧市街エリアの方々に親身に相談に乗っていただいていた経緯もあり
本当に申し訳ない流れになってしまいました。
「でも、まぁ...手伝うわよ」って、みなさんがイベントを一緒に動かしてくれたんです。

許してもらえたのかは分かりませんが、 本当に気持ち的に救われました。

・インタビュアー酒井
逆につくばの外部から来た人だからこそ、許されたってこともあったのかもしれませんね。

・山中さん
何とも複雑な気持ちでしたが、結局はそうだったのかもしれません。
私が、何も知らないからこそ...と言う部分はあったかもしれません。

しかし、”外部の人間”としては、本当に色々と勉強させていただくことが多かったです。
特に「山麓エリアの方」には地域と仲良く付き合うための処世術みたいなものを学ぶことが多くて。

よそ者が、地域のコミュニティにどうやって入っていけばいいのか。
挨拶することの重要性だったりとか、
その界隈の歴史を物語る上で外せない重要人物を認識しておくことだったりとか。

世渡り的な部分を考える機会をいただきましたね。

最初は注意されることも多く、こちらも知らぬ間に失礼な言動になっていることもあったのだと思います。

しかし、その時の考え方が今では私のベースのようなものになっていますね。

・インタビュアー酒井
最初に何も知らない状態で怒られた時に落ち込みませんでしたか?

・山中さん
いや、それはなかったですね。
むしろ「裏切られた」と言われてからの「それでも、手伝うわ」という山の方々の姿勢に「愛」を感じました。

実際、山の方がどう考えていたのか、詳細に聞いたわけではありません。
もしかしたら、本当に突き放そうとしたこともあったのかもしれませんが...
私が鈍感なんですかね笑
ダイレクトに言われるまで気がつかないことは多々あると思います。

・インタビュアー酒井
鈍感力。

・山中さん
山の方は、みなさん思っていることをストレートに伝えてくるんですよ。
オブラートに包まないというか。率直に。

でも、どうでも良い人にここまで言わないだろうな。とも思うわけです。
無視されるよりはよっぽど良いと思っていて。

その分、何を考えているのかよく解りますし、だからこそ、私も甘えやすかったのかもしれません。

・インタビュアー酒井
なるほど。
ただ、人によってはやっぱりそういう言葉を真に受けて凹んでしまう方もいると思うんですけど、
山中さんがいう「鈍感力」をつけるにはどうすればいいんでしょうか。

・山中さん
自分が相手に言われたことに対して自分がどう思うかよりも、
相手が何故そう言ったのか。という意味を考えていることが多いかもしれません。

相手が伝えようとしてくれた気持ちをちゃんと理解して、
自分に足りない部分を認識したかったというか。
もっと丁寧にやりたいと思うんですよね。
基本的に大雑把なのでいつも心がけてはいますが、、、汗

言われてしまうこと自体は悲しいけど、怒りではなくて、しっかりしなきゃという気持ちですかね。

あと、論点は異なりますが、子供の存在は大きいですね。
家に帰れば、三人の息子がいて強制的に母親に戻されるので、
仕事で起きたことをずっと考えていられないんです。

家では家のことをやらなければいけないから、
次はこっち!って仕事から家庭へ強制的に気持ちの切り替えざるをえないんです。

・インタビュアー酒井
仕事と家庭両方がんばることが、どちらにも良い影響を与えているってことですか?

・山中さん
というよりは、「あきらめられる」ようになったんだと思います。
子供がいる。家庭があることで、無理なことは無理って言えるようになったんでしょうね。

子供を産む前は、徹夜をしてでも仕事を進めるようなことも多かったんですけど、
子供を産んでからは自分の限界を決められるようになったんだと思います。

 

(続きます。)

  • この記事を書いた人

酒井 公太

silkypeopleのウェブ担当であり、プランナー。 フリーランスでデザインや企業のプランニングをなりわいとしています。 田舎育ちの東京暮らし。只今、移住を真剣に検討中です。

-インタビュー, 読み物
-,