日に日に寒さが増し、近隣の風景は色数が大分減りました。
空の色と稲を刈り取った後のベージュの田んぼが「冬ですよー!」と言っているようです。
クリスマスとかサンタクロースとか、無視できない状況に
さて、年末が近づくこの季節になると・・・
こども達はサンタクロースという人物に想いを馳せるのでしょうか。
恋人が本当にサンタクロースなのでしょうか。
独り身の頃はクリスマスに特別思い入れもなにも無く、
正直迷惑なお祭りだなと。
しかし、こどもがいる今。
サンタという人物を分かり始めた今。無視できない状況。
クリスマスって一体全体何なんだ!
と思った矢先、友人から連絡があり、
田舎から届いたりんごをお裾分けしてくれると。
【お裾分け】江戸時代から使われている言葉。お裾分けの「裾」は着物の裾のことをいい、自分には特に必要ないけれど余ったので分けるというのか語源です。着物の裾は地面に一番近い部分であり、下々の者に与えるにはちょうど良かったということです。よって、目上の人に使用するのは失礼らしいです。
お裾分けをいただく時にいつも思い出すこと
さて、この「お裾分け」
いまでは「お福分け」という言葉を用いる事もあります。
田舎では、人からよくお裾分けをいただくことがあります。
このコラムをお読みになっている方はお裾分けに対してどのように思いますか?
嬉しいですか?迷惑ですか?賛否両論あると思いますが、
私個人は素直に嬉しいです。
例え同じものが我が家に大量にあったとしても、
ありがたく頂戴します。
モノそのものだけではなく、その心が嬉しいですね。
また、どうやって素材を楽しみ尽くせるかわくわくします。
そんなこんなで、「お裾分け」やら「サンタクロース」につて、
とりとめないことを考えながら
ふとある夏の日を思い出します。
夏の日のかさこじぞう1993
まだ、都内で仕事をしていた頃の出来事です。
久々に実家に帰省し、一人家に居るとき、インターホンが鳴りました。
居留守を決め込み10分後・・・・・。
玄関を開けるとそこには・・・・・。
信じられない量の夏野菜がずっさりと。
「まるでこれはかさこじぞうじゃないの。」
別に地蔵に笠を被せてあげたわけでもないです。
しかも夏です。
なのですが、ふとそんな言葉がこぼれました。
(勿論その夏野菜は私宛ではなく、母親宛てのお裾分けです)
夏でも何でも、玄関をあけてお宝があればそれは地蔵様だ!
と考える思考が昭和感なのか、田舎者なのか。さておき。
お裾分けをいただくと、
なぜか「かさこじぞう」をふと思うのです。
サンタクロースとかさこじぞう
どちらも寒い時期にプレゼント(ごちそう)をくれる設定です。
自分の損得なしに地蔵(他者)に優しくしてあげられたおじいさん。
そんなおじいさんにわたしもなりたい。なと。
りんごをシャリシャリ食べながら、
思いにふける時間も大切な時間です。
さて、いただいたりんごは青森の葉取らずりんごというもので、爽やかな香りと優しい酸味と蜜の甘さ。
りんごのなかのりんご。これこそ正にりんご。
余談ではありますが、りんごをわけてくれた友人の描くこけしがとても可愛らしいのです。
どうやら近年こけしが人気らしいですね。
こけしについてはまた今度。
コラムをお読みいただきありがとうございました。