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【桐生 香雲堂 小泉慶太さん】第一回 血気盛んなラグビー少年が、茶道のおかげで和菓子の道へ。

「実は昔、あんこが苦手だったんです。」
インタビューを初めて、いきなりびっくりする様なエピソードを語ってくれたのは、
創業1965年の老舗和菓子屋『香雲堂』の3代目・小泉慶太さん。

目の前でインタビューさせていただいているのは、和菓子屋さんの3代目のご主人のはず?
さらにさらに...、高校時代まではアツくなりやすいラグビー少年だったとか...?

言われてみれば、どことなく体格もガッチリしていて受け答えも体育会系っぽくサッパリ。

ただ、インタビュー前にお出し頂いた和菓子はキレイで繊細で、あんこも本当に美味しかった。

どうもこの素晴らしい和菓子を作れる様になるまでには、京都での茶道部の縁が大いに関係があるみたいです。

第一回目は、そんなご主人が茶道を通して和菓子職人への修行に入っていくまでのお話をお伺いしました。

 

桐生 香雲堂 小泉慶太さんのプロフィール

創業1965年の老舗和菓子屋『香雲堂』の3代目。
京都の老舗「末富」で修行後、家業を継ぐために桐生へ。
大学進学後に茶道研究部へ入部し、そこでの縁で本格的に和菓子の道へ進むことを決意する。
高校時代まではラグビー部に所属していたという意外な一面も。

→桐生 香雲堂

→桐生 香雲堂のインスタグラム

フクル木島さんのプロフィール

Silky Peopleの発起人であり、ブランドマネージャー。

桐生の縫製工場生まれ。

群馬県桐生市出身JYUNYA WATANABEチーフパタンナーに就任後、
イオントップバリュ㈱で衣料商品企画開発部のチーフクリエイティブデザイナーに就任。
2011年に個人事業主として起業。2014年、株式会社Huggyhuggy(ハギーハギー)設立。
2015年、株式会社フクルを設立。

環境にやさしい服作りについて日々模索中。

→フクル

→桐生 香雲堂の記事一覧はこちら

「あんこ」が苦手なのに、茶道部へ。

桐生 香雲堂の3代目・小泉慶太さん。

インタビュアー酒井:
大学の時は、茶道部に入られていたんですよね。

香雲堂 小泉さん:
そうなんです。
京都の大学の茶道研究部に18歳の時に入りました。

ただ、その時には、僕まだ「あんこ」が食べられなくて。

インタビュアー酒井:
えっ!あんこがダメだったんですね。
そのような感じだったのになぜ茶道部に入られたんですか?

香雲堂 小泉さん:
実は大学に行った当初はやりたいことが決まっていなかったんです。

ただ、せっかく京都の大学に進学したということと...

あと、実家も和菓子屋でしたから。

条件も揃っていたので、茶道を勉強するのはハズレではないのかな。
というような考えで入部しましたね。

それと同じような考えで、大学では経営学部を専攻していました。

お店を継ぐことになっても、経営を知っておけば間違いない。という気持ちです。

そんな感じで高校までは非常に安易な感じで色々と決めていました。

インタビュアー酒井:
高校卒業時に、お店を継ぐことは頭の中にあったんですね。

香雲堂 小泉さん:
実家を継ぐ気持ちは、一応はありました。

大学に行かずに他店に修行に行くことも考えたんですが...
でも「お菓子をやりたい!」という前向きな感じではなかったです。

そして大学進学にしても、特に行きたい!という気持ちもなかったんです。

ただ父から、
「大学は楽しいから、行っておけ」
と勧められて進学させてもらいました。

そこから大学を探し始めるんですが、僕は東京よりも京都に行きたかったんです。
そこで見つけたのが京都産業大学だったんですね。

インタビュアー酒井:
茶道部以外に他に入ろうと思ったクラブなどは無かったんですか?

香雲堂 小泉さん:
実は高校時代はラグビー部に所属していたんです。
京都産業大学はラグビー部が強いので、そこに入ろうか...と一瞬考えはしたんですが、大学の授業でラグビー部の人と一緒に少しだけラグビーをプレーしたところ、全くレベルが違ったんですよ。モノが違うというか。

それで茶道部に行くことにしたんです。

インタビュアー酒井:
ラグビーから、茶道部。すごい振れ幅ですね笑
高校ではどのようなラグビープレーヤーだったんですか?

香雲堂 小泉さん:
司令塔の言うことを聞かないプレーヤーでしたね。
結構、アツくなりやすいタイプの選手でした。

フクル木島さん:
えぇ!今の見た目から全く想像出来ないですね。

右・フクル木島さん、左・小泉さん

 

香雲堂 小泉さん:
はい。
熱しやすい性格は、茶道を通して捨て去ることが出来ました。
お茶の世界にはそういう争いごとはないですからね笑

 

大学の茶道部での縁が、和菓子職人への道を開いてくれた。

インタビュアー酒井:
茶道部を経て、和菓子作りへの心構えもできたんでしょうかね。

香雲堂 小泉さん:
本当にそのとおりなんです。
茶道をやっていなかったら、今の自分はいませんね。

実は、京都の和菓子の修行先である「末富」も茶道部の先生に紹介してもらいました。

と言うのも、
コネがないと京都の有名な和菓子屋さんってなかなか採用してくれないんですよね。

お店を紹介してもらう前に、
自分でもいくつか京都にある和菓子屋に就職のお願いの電話をしていたんですが、全然取り合ってくれなくて。

困って茶道部の先生に相談したところ、

先生の先生にあたる方から突然、僕に電話がかかってきて、
「京都の老舗和菓子店の「末富」のご主人に話を通しておいたから、じゃ、面接頑張ってね。」

そんな感じで「末富」への就職が決まっちゃったんです。
そちらで5年間修行させていただきました。

本当に今考えても、自分はついてたなぁ。と思います。

ただ、受かってから「これは絶対に辞められないぞ。」と気づいたんです。
紹介してくれた方の顔に泥を塗ることになってしまいますしね。

インタビュアー酒井:
茶道部に入る前までは「あんこ」が苦手だったとお伺いしましたが、
その時には克服できていたんですか?

香雲堂 小泉さん:
はい。あんこ嫌いは大学1年生の時に美味しいお菓子との出会いがありまして、
すっかり好きになっていました。

京都の和菓子って本当に美味しいんですよ。

特に「塩芳軒」の「聚楽」というこしあんの焼き菓子が本当に美味しくて...
苦手だったはずのあんこを食べることが出来たんです。

参照:京都・西陣の御菓子司「塩芳軒」公式サイトより

そこからは、休みの度に京都の和菓子屋さん巡りを始めましたね。
徐々に美味しいものを食べていって好きになっていった感じです。

インタビュアー酒井:
京都での経験が今の小泉さんの舌を作ってくれたんですね。

香雲堂 小泉さん:
今、思えば、あんこは「食わず嫌い」だったのかもしれませんね。
本当に大学の茶道部のおかげで今の僕があります。

(続きます。)

  • この記事を書いた人

酒井 公太

silkypeopleのウェブ担当であり、プランナー。 フリーランスでデザインや企業のプランニングをなりわいとしています。 田舎育ちの東京暮らし。只今、移住を真剣に検討中です。

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