silky people

コラム

突然のお別れ

久しぶりのコラム投稿です。

台風が過ぎ、今週はカラッとした気持ちの良い秋日和ですね。

道端の彼岸花は、秋のお彼岸が過ぎ、赤々とした鮮やかな色が、次第に色褪せはじめました。

公園のコナラのドングリはまだまだ青々としていますが、

所々に落ちている銀杏を見ては、秋をしみじみと感じています。

ここ数週間、私事ではありますが、子どもの風邪が家族に蔓延したり、なかなか治らなかったり、

幼稚園が学級閉鎖になったり慌ただしい日々だったのですが、

一番は、愛猫との突然の別れがありました。

別れ

出会った時に、最後まで命尽き果てる最後まで、見届ける覚悟で飼い始めたのですが、

やはり別れは辛いものです。

 

猫が20年生きるとすれば、(以前の飼い猫は22歳だったので)今の自分の年齢なら長生きしても世話できる!

と思い、ずっと躊躇していた猫生活を始めました。

子どものアレルギーで飼えなくなってしまったお宅から、成猫2匹(当時2歳)を4年前に譲り受けました。

その内1匹が先日交通事故で他界しました。

畜生と言えども大切な家族。まだまだ心の整理はつきませんが、

命あるものは必ず死ぬという無常の道理を何となく生きていると忘れてしまいます。

ただ、思うのは、不思議なもので、

まだ家の中に気配があるということです。

猫にも三途の川があるのか、極楽浄土があるのか・・・。

熱心な仏教徒でも何でもありませんが、できる事なら極楽浄土に、天国に、黄泉の国に、

本猫が望むのであれば、輪廻転生も視野に。

とにかく幸せになって欲しい。

という飼い主の勝手わがままな願望です。

ありがとう。ひまわり。安らかにお眠りください。

 

また大切なものがひとつ向う側に行ってしまいました。

歳を重ねるごとに周りの大切な存在が向う側に行きます。

その度に思う事は、自分が向う側に行った時に沢山の土産話ができるように、

今を大切に生きようと。そう思っています。

抉る

三歳半の娘は死をどう理解しているのか。

夕食時に、たま(生きている猫)がにゃーごろと餌を欲しがっていました。

「たまちゃんは鳴くけどひまちゃん(他界した猫)は鳴かないね」

と。

素直な、無垢な発言に母涙こぼれる・・・。

そんな母親を見て更に

「ひまちゃんはいないけど〇〇(自分の名前)がいるから大丈夫だよ」

と。

これまた涙こぼれる。

一体どこまで理解しているのか。

愛猫が居ない現実と、母を気遣う娘の優しさと、

溢れる感情は様々です。

 

最後に

死について言葉にするのはどうかと思いつつ、

今回のコラムで死につて触れた理由ですが、

日々生きるということは、嬉しい事や楽しい事や

美しいことばかりではなく、

悲しい事や辛い事、汚いこともあり、

いろいろなことに対峙する気持ちをほんの少し残したいと思い、記しました。

 

今回もコラムをお読みいただきありがとうございました。

  • この記事を書いた人

mikko

洋服に関わる仕事をあれこれしたのち、子を授かり現在に至る。 生活環境の変化を機に、倦厭していた土いじりやお菓子作りが生活の潤いになっていることに本人も驚いている。

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